立川楓さんインタビュー

Vol.3

登場人物「サツキ」のモデル

立川 楓(元ミオナ)

【モデル・Webデザイナー】

 

【サツキについて】
 憧れの先輩であるリリカを追いかけて、やななのマネージャーとなることを決意した中学2年生。ステージで完璧なパフォーマンスをするやななとリリカ、加藤を見て、「自分もこの人たちみたいになりたい」と日々奮闘する。
(112ページから初登場)

 かつて岐阜・柳ケ瀬で活動していたご当地キャラクター「やなな」の3代目マネージャーを務め、現在は岐阜を離れて上京。Webデザイナーだけでなく、モデルとしても活躍する“ミオナ”(当時の愛称)こと立川楓さん。憧れの先輩であったドキンちゃん(ドーキンズ英里奈)と同じ地域活性化の活動にチャレンジしたいと思ったことから、「やなな」の活動に参加し、街づくりを始めとするさまざまなことを学んだという。中学生時代から現在の仕事に至るまで、どのようなチャレンジをされていたのかをお聞きしました。

Q.まずは、現在の活動を教えてください。

A.現在は岐阜を離れて、東京で働いています。Webデザイナーをやらせてもらっていますが、やりがいがある仕事で楽しいですね。他にも、昔から続けているモデルとしても活動しています。こちらは趣味に近い感覚でやっていますね。

Q.Webデザイナー! かっこいいですね。今のお仕事を選んだ理由などはありますか?

A.そうですね、明確な理由とは違うかもしれませんが、自分の今までやってきたことを活かせる、そんな理由です。特に、長く活動していたひとひとの会、ここで培ってきたことを活かしたいと思っていました。そこで出合ったのが今の勤務先です。採用通知が来たときは飛び跳ねて喜びました。そして、最初に連絡したのがひとひとの会の佐藤さん(佐藤徳昭)です。お父さんへの連絡が佐藤さんの後になってしまいました(笑)。

Q.立川さんにとって、ひとひとの会はかなり大きな存在になっていたんですね。この会で長い間活動されていたとお聞きしましたが、どのようなきっかけで参加することになったんですか?

A. はい、ずいぶん遡るのですが、もともといろいろな習い事をしていて、お父さんが人前に出る活動を推していたこともあり、『岐阜美少女図鑑』というフリーペーパーのモデルを始めました。当時、同じモデルとして活躍していた先輩、ドキンちゃんに憧れていて、そのドキンちゃんが「やなな」のマネージャーとしてステージに立っているところを見に行ったんです。これがきっかけで、自分もあそこに立ちたいと思って、ひとひとの会の門をたたくことになりました。

Q. 憧れの先輩を追いかけて、ひとひとの会へ参加することになったんですか。ひとひとの会の主な活動である地域活性化にも興味があったのでしょうか?

A. そうですね、何かにチャレンジしたいという気持ちがあって、その一つが地域活性化でした。会に入る前ですが、モレラ岐阜でやっていたイベントで関係者っぽい人に挨拶にいったんですけど、それが佐藤さんでした。「初対面のとき、他の中2とは違ってなれなれしい子(いい意味で)だった」って佐藤さんに今でも言われます(笑)。イベントを見て、改めて興味が湧きました。地域活性化活動を始めてから、やっぱりドキンちゃんはすごい、と思っていたんですが、やななの活動を近くで見ることになって、“みんなを元気にさせる”ということの凄さがよく分かりました。

Q. ひとひとの会に入って、思い出に残るエピソードは何ですか?

A. たくさんあり過ぎて、いま思い出すのが難しいくらいです。プライベートなところでは、ドキンちゃんたちは「やなな」と恋バナとか話してましたね。もちろん、「やなな」は筆談ですが(笑)。私も友達みたいな感覚で話していました。落ち込んでいる時に励ましたりしてくれるんですけど、下ネタで励まそうとしてくるので、当時中2だった私には理解できずに苦笑いしかできなかったです。そんな「やなな」ですけど、やっぱり8歳の人魚として認識していたので、“そういう”キャラクター、サンタさん? がいるという感覚でした。これはみんな共通の認識だったと思います。
 また、マネージャーの活動で思い出すのが、本人は覚えていないらしいんですけど、ドキンちゃんから「やなな」の取り扱いマニュアルをもらってその通りにやっていました。マニュアルに書いていないところは佐藤さんに聞きながらやっていましたよ。「やなな」とのやり取り、会話というか漫才みたいな、“それっぽい雰囲気”を出すのが難しくて、何度も動画を見たりして勉強してマネをしていました。マネは得意だったので(笑)。途中からは自分なりの感覚でやれるようになりました。ちなみにツッコミのトーンとかは佐藤さんっぽい感じだと思います。

Q. 「やなな」とのやり取りは言葉では表現が難しいぐらいで、絶妙な掛け合いですよね。立川さんの現在の活動に影響を受けているな、と思う方はいらっしゃいますか?

A. もちろん、人からの影響はあると思っていて、実際に今までかかわった人の多くから影響を受けているとは思います。中でも一番影響を受けていたのが佐藤さんだったと思います。あの頃は、お父さんより佐藤さんとの会話が多くて、それこそ話し方から考え方までです。なんかパパって感じでしたよね。思春期で父に反抗していたこともあったかもしれません。あ、今では一緒に家族旅行に行くくらい仲いいですよ(笑)。あと高校進学の時に、私の進路について、お父さんと佐藤さんで少し意見がぶつかったこともありましたね。私の成績が原因ですが、一度ひとひとの会を休んででもいい学校に行った方がいい、という佐藤さんの意見と、すごい人気が出ていた時期でSKE48さんやBOYS AND MENさんたちと共演したりする機会があり、今が大事で活動を続けた方がいいという父の意見でした。今までやってきたことの中で一番長く続いていたこと、私がやりがいを感じてたことにもしかして気づいていて、そういう意見だったのかなと思います。そこで、中3の期末テストで一定以上の点数が取れなかったら勉強するという話になったんですが、結果的にお休みをいただいて塾に行くことになりました(笑)。でもこの時期に頑張らないと今後に響くと思ってかなり勉強しましたね、大好きなゲームも我慢しました。そして、無事に志望校に合格して、高校から活動再開しました。

Q. 勉強も頑張られていたとのことですが、なんでそんなに頑張れたかというのはありますか? 当時の原動力は何だと思いますか?

A. んー、やれることを頑張りたい、やりたいことにはとことんストイックだったのかなと思います。それこそ、はじめはドキンちゃんに憧れて……でしたけど、ひとひとの会の活動に中学生で参加していることに少し自負がありました。同級生たちとは全然違うことをしてるんだっていう。普段から大学生や大人たちといることが楽しくもあったんですけど、そういう時間が多くなってきた時期だったので、学校にいる自分が不思議な感覚もありました。でも、家ではただの中学生で、活動しているときはスイッチが入っていたのだと思います。自分もミオナのキャラクターでみんなを楽しませるんだっていう感じです。
 さすがに表舞台に立つことが多いこともあり、結構いろんなことに気を遣って気を張っていました。まだ子どもの私にはハードで体力的にきつく、頭痛や体が痛くなることや舞台裏で寝ているということもよくありました。これだけ活動できたのも、楽しくてやる気があったからこそだと思います。

立川楓

Q. 本当に楽しくてやっていた、ということが伝わります。また、地域活性化の活動を行ってきて、今の自分に活かされているということはなんですか?

A. 当時の活動は私のアイデンティティーとなりました。人に好かれる、気にしてもらうというスキルはかなり生きていて、それこそ面接などのお話する場面ではとても役に立ってます。これは学校生活を送っているだけでは身につくことではないと思っています。
 今は、なかなか夢を持てない人が多いと個人的に思いますが、ここでの活動を通してみて、やななたちからやればできるんだ、ということも学べた気がします。私個人として、これからも地域の活動に熱をもってチャレンジしていきたいと思っています。Webデザイナーとしてはもちろん、これからいろんなことに挑戦していきたいです。

Q. 最後です、やななに一言!

A. 「やなな、ありがとう」ですね。とにかく、感謝の想いを伝えたいです。

立川さん、ありがとうございました。